能楽師|久田勘鷗|HIDASA KANOH

源氏供養(げんじくよう)解説

前シテ:里の女    後シテ:紫式部    ワキ:安居院の法印    ワキツレ:従僧(2~3人)
作者:不詳     出典:安居院の法印 「源氏物語表白」

紫式部は紫野に生まれ育ったといわれ、紫の名も地名に由来するそうです。
源氏物語は、紫式部が石山寺にこもって書いたと伝わっています。

あらすじ

(源氏物語では)
この能は、源氏物語の内容では無く、作者の紫式部が主人公です。当時、物語を書くことは、作り話で人心を惑わすものとして、仏教の教えに反するものだったことが、話の底流にあります。源氏物語は、平安時代中期(概ね10世紀頃)に書かれた長編小説です。当時の社会は、家系は父系制なのですが、日常生活は母系制によっていました。源氏の君も夜な夜な、様々な女性の邸に行き、日の出前に退出するという生活をしています。一体いつ寝てるんだろう、という感じです。光源氏30代の頃には六条京極の辺りに、4町ほどの広大な邸宅を造営し、大きく4つに区画します。東南は「春」、源氏の君と正妻紫の上の住まい。西南は「秋」秋好む中宮(六条御息所の娘)の住まい。東北は「夏」花散里の君の住まい。西北は「冬」明石の君の住まいとします。そんな訳で、以前に比べ、出歩くことも少なくなったようです。
ストーリーは恋愛遍歴をベースにしつつ、登場人物の繊細な心模様や苦悩の表現は、現代の小説と何ら変わりありません。さらに、当時の王朝貴族の煌びやかな生活や、様々な催しの細部を生き生きと垣間見ることができるのは、源氏物語ならではのもので他に類例がありません。この能曲の中にも、全54帖のうちいくつかの帖の名前が出てまいります。いくつ分るでしょうか。
桐壺、箒木、空蝉、夕顔、若紫、末摘花、花散る里、須磨、澪標、……………
(前場)
安居院の法印は春の一日、従僧を連れて石山寺へと向かいました。寺の近くで里の女が声をかけます。女は、自分は石山寺にこもって「源氏六十帖」を書いたが、主人公の光源氏を供養しなかった科で、未だ成仏できないでいる。石山寺で源氏の供養と自分の弔いをしてほしいと述べます。法印が女に、紫式部かと尋ねると、源氏の供養には自分も現れて、一緒に供養をしますと述べ、かき消えてしまいました。
(後場)
法印は寺で念願の勤事を終え、光源氏の供養と紫式部の菩提を弔おうとします。そうこうするうち夜も更けると、紫式部の霊が現れ、法印の供養に感謝し、式部は舞を舞います。式部は昔のことを縷々述べ、今も妄執の世界で迷っていることを語り、源氏物語が書かれた巻物の裏に心中の所願を写すことで源氏の供養にしたいと話し、法印に巻物を渡し後世を頼みます。そうして、紫式部は実は石山寺の観世音の化身であり、この世が夢のように儚くあることを知らしめる方便として、源氏物語を書いたのだと語ります。
(おわりに)
源氏物語を出典とする能曲は、およそ10曲あり、その多くは女性を主人公とした恋愛をベースとしています。当時の恋愛は、互いに和歌のやり取りで成立しており、謡曲にも多く取り入れられています。

瀬戸内寂聴訳・源氏物語より一部の表現を引用しています
(文:久田要)