前シテ:尉 後シテ:光源氏 ワキ:藤原興範(おきのり) ワキツレ:従者 アイ:里人
作者:世阿弥(一説) 出典:紫式部作 「源氏物語」12・13帖須磨・明石
あらすじ
(源氏物語では)
源氏の君が二十代中頃のことです。時の政権が移って、源氏の舅で後見人でもある左大臣家の勢力が落ち、右大臣家がみるみる権力を握ってしまいます。そんな折、不倫のお相手・桐壺院の正妻藤壺中宮も出家してしまいます。さらに悪いことに、現帝の最愛の君であり右大臣の娘「朧月夜の尚侍」との密通現場を見つけられてしまいました。朧月夜の尚侍は今風に活発で聡明な女性。もともと現帝(当時は東宮)の許婚者だった方。以前、源氏との密かな関係で、正妻の座を棒に振り、今は尚侍(ないしのかみ)として仕えています。そんなこんなで、順調にきていた都での華麗な生活から状況は激変。悪い方へ悪い方へと転がって行きます。それまで源氏に追従していた人々も背を向けてしまい、源氏は官位を剥奪されてしまいます。次に待つのは流罪です。それを察して、そんな恥を見るよりはと自分から進んで都落ちしようと、須磨へ落ちて行きます。
(前場)
日向国宮崎の社官・藤原興範が伊勢参宮の途上、須磨の浦に立ち寄りますと、一人の柴を背負った老人が桜を眺めて涙しています。聞けば、その桜は光源氏ゆかりの「若木の桜」で、ここは源氏の旧跡だと申します。興範がその老人に光源氏のことを尋ねると、老人は過ぎし古の出世物語を縷々と述べます。帚木(ははきぎ)の帖には中将、紅葉賀(もみじのが)の帖には正三位。25歳の時に嘆くべきことがあり、須磨の浦、明石の浦住まいとなったが、また都に召し返されました。その後、澪標(みおつくし)の帖には内大臣、少女(おとめ)の帖には太政大臣、藤裏葉(ふじのうらば)には太政天皇まで極めた光君ですよと言い、月の夜を待ちなさいとて、雲隠れしてしまいます。
(後場)
興範は更なる奇特を見ようと、今夜はここに旅寝します。と、月光の中に現れた光源氏の霊は青海波の舞を舞い始める。源氏は多生を救うために兜率天(とそつてん)から、昔住んでいた須磨の浦に天降ったといい、青鈍の狩衣(あおにびのかりぎぬ)をたをやかに召し、須磨の嵐にひるがえしながら、春の夜明けとともに消えていきました。
(おわりに)
この能では、源氏の君は兜率天(とそつてん)に住むという弥勒仏に擬した、聖なる華やかなイメージで登場します。源氏にとって、須磨・明石での生活は、苦しいものでしたが、その一方、明石入道の娘で聡明な美人、明石の姫との出会いもあり、都に戻るその時にお腹に宿した3月の子など、これからの展開に重要な2年半でもありました。
瀬戸内寂聴訳・源氏物語より一部の表現を引用しています
(文:久田要)