前シテ:里の女 後シテ:六条御息所 ワキ:旅の僧 アイ:里の人
作者:金春禅竹(一説) 出典:紫式部作 「源氏物語」10帖・賢木(さかき)
あらすじ
(源氏物語では)
六条御息所は、先の東宮(皇太子)の正妻。「先の」とあるように、東宮は早くにお亡くなりになり、朝廷の主流から外れてしまい寂しい生活を送られています。ただ、高貴なお方でもあり、気位も高くチョット近寄りがたい存在です。一方、源氏の君は、成立し難い恋、無理な恋、邪魔のある恋、許されぬ恋など、気苦労の多い恋に挑む時だけ逆にハッスルしてしまう困った性格。御息所との間にもこのような関係があるのですが、最近源氏の君は他の女性のもとに通うことが多く、次第に関係が疎遠になるに従って、御息所の気持ちも晴れません。
今の東宮が帝位につき、世の中が一新します。神に仕える斎宮も御世替わりには替わるしきたりです。新しい「伊勢の斎宮」は御息所の姫宮に決定します。源氏の冷たさに耐えかねて、御息所は娘の斎宮と一緒に伊勢に下ろうかと思い悩んでいます。出発の日も間近になった9月の一夜、源氏の君は名残惜しく、野々宮に尋ね行きます。「神垣は しるしの杉も なきものを いかにまがへて 折れる榊ぞ」(御息所)「乙女子が あたりと思えば 榊葉の 香をなつかしみ とめてこそ折れ」(返歌)。御息所は逢ってかえって辛く苦悩が深まったと嘆きますが、結局斎宮と一緒に伊勢に下ります。前に「賀茂の斎院」の禊(みそぎ)の見物の際に、御息所の車が葵上の車の供の者にさんざん痛めつけられた屈辱が忘れられず、この能でも、車に乗って登場します。御息所にとって、車は屈辱の象徴なのです。
(前場)
秋も末、嵯峨野の野宮を訪れた旅の僧の前に女が現れ、ここは昔、斎宮にお立ちになった方が仮にお移りになる野宮だと説明し、今日は、光源氏が訪れた日にちなむ長月七日の神事の日なので、榊を供え宮所を清めています、関係ない方は早くお帰り給えと言います。が、僧が問うと、当時のことを縷々と述べます。そのやたらに詳しい物語にいぶかる僧に、「御息所は我なり」と名を明かし、夕暮れのなか、黒木の鳥居の二柱にたち隠れて消え失せます。
(後場)
僧は夜もすがら弔いをしていると、御息所が秋の千草の花車に乗って現れ、賀茂の祭りの車争いの様子を切々と述べ、この妄執を晴らしてほしいとお願いします。そして、昔を偲んで舞を舞い、妄執から抜け出したのかどうか……また車に乗り、火宅の門からお出になったようです。
(おわりに)
六条御息所はその後出家をして、前斎宮である姫君の後見役を、源氏の君にお願いします。そして、「源氏のたくさんいる愛人の一人にはしないでください」と瀕死の力を振り絞って遺言します。源氏の君は遺言を守り、姫君を帝(冷泉帝……実は光源氏と藤壺中宮の不倫の子)の妃として入内させます。姫君は帝に大切にされ后となります。後には「秋好む中宮」といわれるようになりました。
瀬戸内寂聴訳・源氏物語より一部の表現を引用しています
(文:久田要)