能楽師|久田勘鷗|HIDASA KANOH

鷺(さぎ)解説

シテ:鷺     ツレ:王     ワキ:蔵人     ワキツレ:大臣・従臣(三人)・輿昇(こしかけ)二人
作者:不詳     出典:「平家物語」朝敵揃

あらすじ

(平家物語では)
治承4年(1180年)8月には、伊豆において源頼朝の挙兵があり、一報が福原にいる清盛のもとへ、早馬で伝えられます。頼朝は緒戦の、石橋山の合戦には敗れますが、10月の富士川の合戦では、戦わずして勝利をおさめます。当時、平家が朝廷をないがしろにして専横を誇っていますが、公的な権力側の勢力です。それに反旗を翻す源氏は、まだこの段階では、以仁王(高倉宮)の令旨を得たといっても、朝敵に他なりません。この後、後白河法皇から平家打倒の院宣を受けて、はじめて官軍として敵(当時二人の天皇がいます。その一人安徳天皇は平家とともにあります)平家一門と正面から戦うことになります。
物語では、古(いにしえ)には蘇我入鹿、藤原広嗣、平将門、藤原純友などの朝敵が現れたが、一人として成功した試しはなかったけれども、今の世では天皇の権威も衰え、その重みを失ったと嘆きます。
昔は宣旨を読みかけると、枯れた草木も生き返って、花を咲かせ実を結び、飛ぶ鳥もこれに従った。
こんなこともありました。中古の頃、醍醐天皇が神泉苑に行幸された折、池の汀(みぎわ)に鷺がいるのを見て、六位の蔵人に「あの鷺捕って参らせよ」と命じられました。蔵人が鷺に向かっていくと、鷺は羽を整えて飛び立とうとします。そこで「宣旨であるぞ」と言うと、鷺はその場にひれ伏して飛び去らない。天皇は、殊勝であるとして「今日より後は鷺の中の王たるべし」という札を首にかけてやり、鷺を五位になさったということである。(五位鷺)
(能のあらすじ)
帝は夏の夕涼みで神泉苑にまいりました。池の汀から州崎の鷺を見つけられ、誰か捕ってまいれと申されます。大臣は蔵人を呼び、これを命じます。蔵人は心配しつつも蘆の陰に忍び寄りますと、鷺は驚いて飛び立とうとしますが、「汝よ聞け勅諚(ちょくじょう)ぞや」と呼びかけると、鷺は立ち帰って地に伏せてしまいます。王威の恵みというのは頼もしいものと、皆が感じ入りました。帝も喜ばれ、蔵人と鷺の両方に5位の爵を与えられ、鷺は喜んで舞を舞います。帝はこの鷺を神妙なことと思し召されて、お放しになりますと、鷺は喜んで空に舞い上がり飛び去ります。
(おわりに)
平家物語では、全体の話の流れと関係の薄い挿話が、所々に入っています。この話しもその一例といえます。朝廷の権威も日に日に軽くなっていき、今後政権は、はっきりと武士のものになっていきます。昔の話しをすることで、現実との対比を強めるために挿入されたように思われます。

記述にあたっては、杉本圭三郎全訳注・平家物語(覚一本)を参考にしています
(文:久田要)