能楽師|久田勘鷗|HIDASA KANOH

実盛(さねもり)解説

前シテ:尉    後シテ:斉藤別当実盛    ワキ:遊行上人    ワキツレ:従僧    アイ:里人
作者:世阿弥     出典:「平家物語」篠原合戦・実盛

あらすじ

(平家物語では)
寿永元年(1182年)木曽義仲は「横田河原の合戦」で圧勝し、北陸道に勢力を広げます。それに対し、平家方は平維盛・通盛を総大将とする、10万騎の大軍を北陸道へ差し向けます。まず、加賀の国・火打が城で木曽義仲軍・在地勢力の合同軍との合戦があります。これは、在地勢力の一部が平家に内通したことで、平家方が勝利します。しかし、翌寿永二年、倶利伽羅峠の合戦で平家は大敗してしまいます。ひとまず加賀国篠原に戻り布陣しますが、5月21日早朝木曽方から攻めてき、何度かの戦の後、平家方は我先にと敗走します。ここで一騎が引き返し、敵にあたり防戦します。これこそ長井斉藤別当実盛です。実盛にとって、頼朝軍との富士川の合戦において、水鳥の羽音を鬨の声と勘違いして逃げたことは、生涯の恥辱でした。北国での戦いでは必ず討ち死にする覚悟です。首実験に懸かることも覚悟の上です。この時の姿は「赤地の錦の直垂(ひたたれ)、萌黄縅(もえぎおどし)の鎧を着、鍬形(くわかた)を打った甲の緒を締め、金作りの太刀を帯び、切斑(きりふ)の矢を背負い、滋藤(しげとう)の弓を持って連銭葦毛(れんぜんあしげ)の馬に、金覆輪(きんぷくりん)の鞍を置いて……」とあります。実盛は木曽方の手塚太郎金刺光盛の手に懸かって首をとられ、その首が木曽義仲の前に据えられます。どう見ても実盛の首です。実盛は70歳過ぎの老武者、白髪のはずが何故か黒髪。日頃付き合いのある樋口次郎兼光に確認させると「あなむざんやな 斉藤別当で候ひけり」と。 前の池で首を洗うと、墨が落ち白髪に戻りました。
(前場)
遊行上人が説法をしていると、毎日聴聞にくる老人がいます。実はこの老人、上人にしか見えていません。老人と話していると、余人には独り言を言っているようにしか見えません。上人が名を問うと、人払いを願った後、昔の実盛が篠原の合戦での事を聞いているか、と聞いてきます。尚も名を問うと、この池の水で鬢髭を洗われ、その執心が残っているがために霊となっている実盛の幽霊だと明かし、もう200年程も経っていますよと池の辺に消えていきます。
(後場)
上人が、池の辺でその跡を弔っていますと、白髪の甲冑姿の老武者が現れ、自分の首実験の様子や、錦の直垂を着て故郷の合戦に出陣した思い出を語り、手塚太郎光盛と組討ちして討ち取られたことなどを話し、弔ってほしいと願い消えていきます。
(おわりに)
500年程後の時代になって、「奥の細道」に芭蕉が多太八幡(石川県小松市)に詣でたときの話があります。「実盛が甲、錦の切れあり、往時源氏に属せしとき、義朝公(頼朝の父親)より賜はらせ給ふとかや。げにも平士の物にあらず。目庇より吹返しまで、菊唐草の彫りもの金をちりばめ、龍頭に鍬打ちたり……」とあります。甲は現在も神社に保管されているとのことです。 「むざんやな 甲の下のきりぎりす」

記述にあたっては、杉本圭三郎全訳注・平家物語(覚一本)を参考にしています
(文:久田要)