能楽師|久田勘鷗|HIDASA KANOH

俊寛(しゅんかん)解説

シテ:俊寛     ツレ:平判官入道康頼     ツレ:丹波少将成経     ワキ:赦免使     アイ:船頭
作者:不詳     出典:「平家物語」鹿谷 赦文 足摺等

あらすじ

(平家物語では)
平家一門の繁栄が頂点に達する頃、後白川法皇(院)を中心とした朝廷勢力と平家一門との対立が際立ってくるのと並行して、比叡山を代表とする宗教勢力との対立も険しくなってまいります。そもそも、院政というのは、貴族が外祖父として天皇(帝)を取り込んだことと、荘園制による税収不足で、律令制度が成り立たなくなっている状態を改善するため、上皇(院)の独断で、事を進めようとしたのが契機でした。従って、藤原氏同様に公家化した平家一門、ならびに広大な荘園を有する大寺院との対立は必然といえるものでした。
東山の山麓・鹿谷に俊寛僧都の山荘があり、打倒平家の面々が策をねっています。俊寛僧都、平判官康頼、新大納言成親(成経の父)、それに法皇など。また、頼るべき侍として、多田蔵人行綱や北面の武士などがいます。しかし、多田蔵人行綱は、この一件はとても見込みがないとして、吾身が大事と、入道相国(清盛)に謀反をバラしてしまいます。清盛の怒りは頂点に達し、色々と刑罰がなされます。中心人物の新大納言成親は流罪のうえ処刑。俊寛、平判官康頼、丹波少将成経の三人は鬼界が島に流罪となります。特に清盛入道の口添えで一人前になった俊寛に対しては、人一倍怒りが強いのでした。
そんな折、中宮建礼門院(清盛の娘)が高倉天皇の子を懐妊しますが、物の怪に取りつかれたのか病状が思わしくありません。しかし病気平癒の祈祷などすると、御安産に皇子が誕生しました。中宮安産祈願の大赦がおこなわれ、鬼界が島にも赦免状が届きます。
(能のあらすじ)
中宮御産のお祈りの為の大赦が行なわれ、赦免使が鬼界が島へ向かいます。康頼と成経は、二人で勧進した三熊野に参詣しています。俊寛は酒に見立てた谷水をもって現れ、三人で昔話をします。やがて都からの赦免の早舟が現れ、赦免状を見せます。まず康頼が読みますと、少将成経、平判官康頼二人の赦免が書いてあります。俊寛は自分の名前を読み落としていると、自分でも何度も読み返し、表紙も見ますが、名前がありません。「さては筆者の誤りか」。しかし、赦免使も確かに二人だといい、二人だけを舟に乗せます。俊寛は縷々と恨みを述べ、せめて自分も九州までは乗せてくれと請いますが、許されません。俊寛は舟のとも綱に取りつきますが、そのとも綱も押切られてしまい、舟は沖合いに出てゆき、次第に見えなくなってしまいました。
(おわりに)
その後、俊寛は島で生活を続けます。平家滅亡まで生きながらえば、都へ帰る日もあったでしょうが、その前に亡くなってしまいます。 少将成経は、もとのように院につかわれ、宰相中将に昇進します。また、平判官康頼は東山の山荘に籠もり、「宝物集」という物語を書いたそうです。

記述にあたっては、杉本圭三郎全訳注・平家物語(覚一本)を参考にしています
(文:久田要)