前シテ:尉 後シテ:老松の精 ツレ:男 ワキ:梅津何某 ワキツレ:従者(2人) アイ:安楽寺門前の者
作者:世阿弥 出典:「源平盛衰記」巻32北野天神飛梅津 北野縁起
あらすじ
(源平盛衰記では)
寿永2年(1183年)8月平家は都を落ち、筑前国大宰府に着きます。菊池次郎高直・宍戸諸卿種直・臼杵・戸槻・松浦党などの諸将は主上(安徳天皇)を守護して、形ばかりの皇居を造ります。平家の人々は菅原道真ゆかりの安楽寺に詣で、詩を作り歌を読みなどして、手向けます。平経正の歌「住みなれし ふるの都の 恋しさに 神も昔を 忘れ給はじ」とあります。辛い流浪の旅の一こまです。
北野天神(菅原道真)は、藤原時平大臣の讒訴で延喜5年(905年)(正しくは延喜元年(901年)大宰府に左遷された)に安楽寺に遷されました。二月のことで、都の空をご覧じ「こち吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな」と詠じましたところ、天神の御所高辻東洞院紅梅殿の梅の枝が裂けて、雲井遥かに飛び行き、安楽寺に参りました。桜の木も御所にありましたが、こちらは御歌がないので、怨みに思い一夜にして枯れてしまいましたとか。
平家の人々は、さても昔紅梅殿より飛び参った梅はどれだろう、と口々に言っていると、何処からともな12~3才ばかりの童子が現れ、ある古木の下で、「これやこの こち吹く風に さそわれて あるじ尋ねし 梅のたち枝は」と打ち詠じて失せました。これは北野天神の御影向と思い、皆々頭を傾けました。
(前場)
都の西に住む梅津何某は北野の信仰厚く、筑紫安楽寺を参詣せよとの霊夢を見、九州にやって来、早速に春の盛りの安楽寺に詣でます。老人と男が来て、境内を掃き清めます。梅津何某は老人に飛梅はどの木でしょうかと聞きますと、こちらでは「紅梅殿」と崇められて、神木として花垣を廻らせている木を示し、また此方の松も見てくださいと教えます。これも垣を廻し、注連縄を引いて妙なる神木と見えます。紅梅殿は若木の花守までも華やかですが、引き替えて老松は、木守の自分も年老いてさみしいと話します。そして梅津何某に寺の謂れを話し、文学盛んなことを好む木として梅を「好文木」、秦始皇帝を雨から守った松に大夫という爵を贈った古事に倣い、松を「大夫」と呼ぶのだと教え消えていきます。
安楽寺門前の者が来て、飛梅や老松のこと、道真が雷になったことなどを話します。
(後場)
梅津何某は松影に旅寝して、神のお告げを聞こうとしています。すると老松の精が現れ、紅梅殿に話しかけ、今夜の客人を慰めようと舞を舞います。そして、「これは老木の神松の千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」と帝の永遠の寿命を捧げると神託を告げ、春を寿ぎます。
(おわりに)
本曲は、長寿の象徴の松と、春の訪れを告げる梅にまつわるめでたい古事を題材とした、泰平の世を寿ぐ祝言能となっています。
水原一校注「新定源平盛衰記」新人物往来社刊を参考にしています
(文:久田要)