能楽師|久田勘鷗|HIDASA KANOH

葛城(かづらき) 解説

前シテ:里女     後シテ:葛城の神     ワキ:山伏     ワキツレ:山伏(2人)     アイ:里人
作者:不詳     出典:「源平盛衰記」巻28役行者の事  今昔物語巻十一の3  日本霊異記

あらすじ

(源平盛衰記では)
役行者(えんのぎょうじゃ)は7歳の頃より30年間、葛城山の頂で孔雀明王の法を修行をしました。大峯山や葛城を行き来するのが遠いので、葛城山の一言主神に「二上嶽(二上山)から神山(吉野山)まで、石橋を渡せ」と命じました。一言主神は顔が醜いので、昼は出ないで、毎夜渡していましたが、行者は「遅い」と立腹し、葛にて7遍縛りました。一言主はそれを恨んで、帝に「役優婆塞(うばそく…修験者・山伏)は帝位を奪う企てがある」と偽りを奏します。帝は行者を搦め捕らんとしますが、行者虚空を飛ぶこと鳥の如しで捕らえられません。仕方ないので、行者の母を召し戒めようとしますと、行者は自ら現れ、伊豆大島に流されました。行者、昼は大島に居、夜になると鉢に乗って富士山にまいります。一言主は再度、行者を害するよう奏上します。が、帝は「これ凡人にあらず、定めて聖人ならん。速やかに供養を演ぶべし」とて、都に召し返されました。とあります。
今昔物語も、ほぼ同様の内容を伝えていますが、役の優婆塞(行者)の出身を、大和国葛上郡茅原村の人、俗称は賀茂、役の氏と述べています。また、石橋を命じた相手は、鬼神たちと一言主神となっていて、みにくくて夜毎に働いたのは鬼神たち。一言主神はサボっていたようです。
(前場)
出羽・羽黒山の山伏が大峯山をめざし、雪の葛城山にやってまいります。柴採り帰りの里の女が声をかけ、自分の庵で休むよう勧めます。庵に着くと、女は楚樹(しもと)を解き、これは葛城山に由緒ある木で、大和舞の歌に「楚樹ゆふ 葛城山に 降る雪は 間なく時なく 思ほゆるかな」とあると説明し、火にくべてもてなします。山伏が後夜の勤めを始めようとすると、女は悩みがあるので、ついでに加持してほしいと願い出します。事情を聞くと、自分は葛城の神で、恥ずかしながら昔(役の行者に命ぜられた)岩橋を架けられず、咎めで明王の索に縛られて苦しんでいます。といい神隠れします。山伏は里人に葛城山の岩橋の話を聞き、夜もすがら祈祷します
。 (後場)
葛城の神が修法に引かれて、蔦葛(つたかづら)に纏(まと)われた姿で現れ、見苦しい顔を恥じながら、大和舞を舞ってみせます。そして夜が明ける前にと、岩戸に入ってしまいます。
(おわりに)
葛城山は大阪平野と奈良盆地を隔てる山塊です。葛城の地は古く、葛城氏・蘇我氏・尾張氏など有力豪族の発祥地と伝えられ、天皇家が大和に入る以前の大和地域を支配していた氏族に関係すると言われています。また国譲りの神話での、出雲・大国主神の子、事代主神(ことしろぬし)と葛城山の一言主神は同一の神との説もあります。普通男神と考えられていますが、能では女神として登場します。また行者が神様に命令するというのもユニークで、現在より神と人との関係が近かった時代の話といえましょう。

水原一校注「新定源平盛衰記」新人物往来社刊 及び 新編日本古典文学全集・今昔物語集を参考にしています
(文:久田要)