前シテ:漁翁 後シテ:蔵王権現 前ツレ:老嫗 後ツレ:天女 子方:王 ワキ:侍臣
ワキツレ:輿昇(こしかけ)2人 アイ:追手の兵(2人)
作者:不詳 出典:「源平盛衰記」巻14三井寺詮議・浄見原天皇事、 宇治拾遺物語 他
あらすじ
(源平盛衰記・宇治拾遺物語では)
本曲は天武元年(672年)の壬申(じんしん)の乱を題材にしています。壬申の乱については日本書紀に詳しく書かれていますが、本来兄弟であるはずの天智天皇(中大兄皇子)・天武天皇(大海人皇子)間に疑問点が多く、さらに、壬申の乱で戦った天智の息子大友皇子についても、天皇即位していたのか否か、定説がありません。このため、壬申の乱は天皇と皇子の争いだったのか、皇子同士の争いだったのか、乱の性格もはっきりしません。結果としては、大海人皇子が勝利します…………
源平盛衰記では、平安時代末期の源三位頼政による平家打倒の企てに関して、戦の勝敗は軍の大小で決まるものではないという例えとして、壬申の乱を引き合いに出しています。ここでは吉野を逃れた大海人が、鈴鹿山中で老翁・老嫗に匿われ、岩屋に入って敵から逃れた経緯や、美濃の国では大きな榎の中に隠れて逃れた経緯が述べられています。
宇治拾遺物語では、大友皇子の妻(大海人皇子の娘)」が、父に大友の謀り事を知らせるため、鮒(ふな)の包み焼きの腹に文を入れて送ります。大海人は宇治田原から志摩へと逃れ、洲俣(岐阜県安八郡墨俣)の渡しに着きます。しかし既に大友皇子の手が廻っていて、舟を出すことができません。舟洗いの女は舟を逆さにして大海人を匿います。この後大海人皇子はこの地で募兵し、一転攻勢に出ることになります。
(前場)
王(浄見原天皇)は、大友皇子に追われて何処とも知らぬ山中に着きます。川舟に乗っていた老夫婦は家の上にたなびく紫雲を見て、高貴な方が来られたと、急ぎ帰ります。侍臣は事情を話したうえ、この二三日何も食べていないので、食べ物を用意してほしいと頼みます。老夫婦は根芹と国栖魚(鮎のこと)を供御(ぐご)に供えます。このことから吉野の国栖と云うようになったとのことです。供御の残りを賜った老翁は、魚が生き生きとして見える様子に、占いに川に放してみると、魚が生き返ります。そこへ追手がかかりますが、老翁は伏せた舟の中に天皇を隠し、追手を追い返してしまいます。天皇は忠勤を褒め、世の中が治まった暁には恩を返すといい、老夫婦は忝いと感涙にむせびます。夜も更け静かになり、老翁は天皇を慰めようと考えますと、天女が現れます。
(後場)
やがて天女は五節の舞の始めといわれる美しい舞を舞い、さらに蔵王権現も顕れ、東西南北に縦横に虚空を飛びまわり、天武の御世を寿ぎます。
(おわりに)
水原一校注「新定源平盛衰記」新人物往来社刊及び新潮日本古典集成(第71回)「宇治拾遺物語」を参考にしています
(文:久田要)