能楽師|久田勘鷗|HIDASA KANOH

芦刈(あしかり)解説

シテ:日下左衛門      ツレ:左衛門の妻      ワキ:妻の従者      ワキツレ:供人(2~3人)      アイ:里人
作者:世阿弥(改作)      出典:「大和物語」第148段  拾遺集 巻9  今昔物語 巻30

あらすじ

(大和物語では)
本曲は古歌にまつわる「蘆刈り伝説」の話です。ここに登場する男女は、元々はかなり家柄のよい者なのですが、時代の変遷と伴に盛衰が入れ替わり、暮らし向きが悪くなっていったようです。
津の国の難波に家を持って住んでいた夫婦がいました。結婚して数年が経ち、暮らし向きが悪くなり、家も壊れ、使用人も去ってゆき、二人だけで住み続けていましたが、いくら落ちぶれたといっても、他人に使われる身分ではありませんでした。男は、自分は何としてでも生きていけるだろうが、若い女を貧しい生活につき合わせるのは気の毒と思い、京で宮仕えして、ましな状態になったら声をかけてくれ、自分も人並みになったら必ず探し訪ねようと、口約束をして別れました。女は「ひとりして いかにせましと わびつれば そよとも前の 萩ぞこたふる」と独り言をつぶやきます。その後、女は貴い所に宮仕えし、生活の苦労もなくなり、たいそう容姿もきれいになりますが、夫のことを忘れずに思いをはせています。そのうち仕えている奥方が亡くなり、自分が貴い人の妻になってしまいます。今の夫に気を使いつつも、難波の男が忘れられず、供のものと難波へ出かけ、男を探すのですが、見つかりません。日の暮れかかる頃、車の前を通りかかる芦売りが前の夫と気付き、芦を買おうとしますが、男も前の妻に気付き、落ちぶれているのを恥じて逃げてしまいます。それでも探し当てると、男は手紙を書きました「君なくて あしかりけりと 思ふにも いとど難波の 浦ぞ住みうき」(あなたがいなくなってからも、やはり暮らしがよくない、芦刈をして貧しい日々を送る生活を思うにつけても、ますます難波の浦に住むのがつらいことです)。女は泣きながらも着物を脱いで包み、手紙を添えて贈り、一人都へ帰っていきます。
(能のあらすじ)
都のさる高貴な人の乳母が、従者と供に、淀から舟にのって 故郷の難波の浦日下の里へとまいります。従者に、前に別れた夫の日下左衛門を探させますが、里人に聞いても、以前の所にはいないということで、行方がわかりません、暫く逗留して探すことにします。里人は浦の浜市に若い芦売りがいて、中々面白いので行ってみてはと勧めます。浜市では、芦売り男が現れ心情を述べますが、身の不遇を嘆くでもなく、運命を受け入れて淡々としています。そして、芦(あし)とは葦(よし)とも言い、伊勢の人は浜荻(はまおぎ)とも言うと話したりします。次に、従者が「御津の浜」を問うと、芦売り男は御津の浜の由来を述べ、笠尽くしの舞を舞って見せます。そして、乳母が芦を買い、芦売り男が渡そうと乳母を見ると、それは昔の妻でした。男はわが身を恥じて小屋に隠れてしまいます。乳母は、あれは自分の夫と打ち明け、夫に呼びかけ、和歌を詠じあいます。(男)「君なくて あしかりけりと 思ふにぞ いとど難波の 浦は住み憂き」(女)「あしからじ 善からんとてぞ 別れにし 何か難波の 浦は住み憂き」と。心も打ち解け、3年ぶりの再会を果たし、再びめでたく結ばれます。左衛門は、烏帽子直垂に装束を改め、従者の勧めで祝儀の舞を舞い、夫婦共々都に帰っていきます。

雨海博洋・岡山美樹全訳注「大和物語(上)(下)」講談社学術文庫刊を参考にしています
(文:久田要)