前シテ:里女 後シテ:老女 ワキ:都人 ワキツレ:同行者(2人) アイ:里人
作者:世阿弥 出典:「大和物語」第156段 古今集878 今昔物語 巻30・第9
あらすじ
(大和物語では)
信濃国の更科に、ある男が住んでいました。若い時に両親を亡くし、伯母(おば)が親代わりに、一緒に暮らしていました。男の妻には、伯母をうとましく感じられ、特に腰が二つに折れたように曲がっているのを嫌がっていました。そして、男にも伯母の悪口を言っていたので、昔のようにはいかず、なおざりなことが多くなりました。嫁は目障りに思って「もっていって、深い山の中に捨ててしまってよ」と責め立てるので、男は困り果ててしまい「では、そうしてしまおう」と思うようになります。月の明るい晩に、お寺でありがたい法会があるので見せようと、喜ぶ伯母を背負い、高い山の峰に入り、一人ではとても降りられないところに置いて、逃げ帰りました。男は、この山の上から月がとても明るく出ているのを、一晩ぼうっと眺めて、寝ることもできません。そして、「わが心 なぐさめかねつ 更科や をば捨て山に 照る月を見て」と詠んで、また山へ迎えにいって、連れて帰ってきました。それよりこの山を姨捨山と言うようになったのです。
(前場)
都に住む者たちが、信濃国更科の姨捨山(おばすてやま)に秋の名月を見に行きます。そして広々とした景色と、晴れ渡った空に、今宵の月の美しさを思い巡らせています。すると、一人の里の女が話しかけてきます。男が姨捨のあった場所を尋ねると、「我が心 慰めかねつ 更科や 姨捨山に 照る月を見て」と詠じた老女の跡ならば、この高い桂の木の根方がその場所ですと答えます。そして、亡くなった人の執心が残っているのか、淋しい景色を眺めていると、里女は自分も月とともに現れて旅人の夜遊を慰めますといい、実は自分はこの山に捨てられた姨であり、秋の名月の夜に現れるのだと話し、木の下に消えていきます。
旅人は、里人に姨捨の伝説を尋ね、里人は伝説を語り、一夜をここで過ごすよう勧めます。
(後場)
三五夜中(3×5=15で十五夜のこと)の満月が隈なく澄み渡ります。白衣の老女が現れ、月を愛で讃えます。さらに阿弥陀如来や脇士(わきじ)の勢至菩薩のことなど、仏の慈悲を語り、昔を偲んで舞を舞います。そして、夜も白々と明けてきますと、旅人は山を下り帰っていきます。また老女は一人淋しく山に残され、姨捨山となりました。
(おわりに)
長野県松本市からJR篠ノ井線で長野市に向かう途中に姨捨駅があります。それまで山の中を走っていた電車の車窓に、突然千曲川の雄大な景色が現れます。そこは戦国時代には、上杉謙信と武田信玄が戦った、川中島の古戦地でもあります。今もあるかどうか分りませんが、以前の電車では車掌さんが「ここからの絶景をお楽しみください」というアナウンスをしていましたので、見逃すことがありませんでした。
雨海博洋・岡山美樹全訳注「大和物語(上)(下)」講談社学術文庫刊を参考にしています
(文:久田要)