シテ:杜若の精 ワキ:旅僧
作者:世阿弥(一説) 出典:「伊勢物語」第9段
あらすじ
(伊勢物語では)
「伊勢物語」は「在五が物語」とも云われ、在原業平一代記といわれています。従って、物語りに出てくる「男」とは即ち業平本人と考えられています。在原業平は平城天皇の第一皇子・阿保親王の第五子で本来皇籍の方ですが、親王の上表で臣籍降下し、在原氏を名乗っています。六歌仙の一人でもあります。美男の誉れ高く、色々と浮名を流します。しかし、55代文徳天皇の後継問題にからみ、藤原良房の推す惟仁親王(清和天皇)と対立する惟喬親王の身内(惟喬の母紀静子は業平の妻の父親の妹=井筒に登場する有常の妹です)でありながら、清和幼帝の婚約者の藤原高子(二条の后)と恋愛問題をおこし立場を悪くしてしまいます。そんなこともあり、都を出て東へ下ります。
むかし、男(業平)が友人ひとりふたりと、東(あづま=東国)に住まいを求め旅立ちます。三河の国、八橋(愛知県知立市八橋町)というところに到り着きます。そこを八橋といったのは、流れ行く河が蜘蛛手に分かれているので、橋を八つ渡してあるところから、八橋といったのです。その沢のほとりの木の陰で乾飯を食べた折、その沢に、かきつばたが大層きれいに咲いていましたのを見て、ある人が、かきつばたという五文字を各句の上において、旅の思いを詠めといったので、男(業平)が詠んだ、「からころも 着つつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ」(都には長年馴れ親しんだ妻がいるので、はるばると遠くここまでやって来た旅を、悲しく思うことだ)と詠んだので、皆乾飯の上に涙を落として、乾飯がふやけてしまいました。
(能のあらすじ)
東国行脚の旅僧が三河の国に着きますと、沢辺の杜若(かきつばた)が今を盛りと咲いています。僧が花を眺めていますと、一人の女が現れ、ここは八橋という杜若の名所だと伝えます。そして伊勢物語にも八橋の由来が書いてあり、かきつばたの五文字を句の上においた業平の歌を紹介します「唐ころも 着つつ馴れにし 妻しあれば 遥々来ぬる 旅をしぞ思ふ」。女は業平の跡を語り、見苦しいがと、僧を自分の庵に案内し一夜の宿を勧めます。やがて女は初冠(ういかんむり)に唐衣(からごろも)の姿で現れ、この衣が歌に詠まれた唐衣で高子(二条の后)の后の御衣で、初冠は業平の形見の冠だと云います。僧が不審に思い尋ねると、自分は杜若の精であると明かし、また業平は極楽の歌舞の菩薩の化現なので、詠む和歌の言の葉までもがみな法身説法の妙文で、草木まで露の恵みで成仏するのですよと語り、伊勢物語や業平について語り、舞を舞い、やがて消えていきます。
(おわりに)
京の銘菓「八ツ橋」の名前の由来には、二つあるそうで、一つ目は箏曲の祖・八橋検校にちなみ、箏の形に似せたものというもので、もう一つは伊勢物語9段での、かきつばたの名所、三河の国八橋にちなみ、橋の形に似せたものという由来だそうです。
石田穣二訳注「新版伊勢物語」角川文庫刊を参考にしています
(文:久田要)