能楽師|久田勘鷗|HIDASA KANOH

隅田川(すみだがわ)解説

シテ:狂女      子方:梅若丸      ワキ:渡守      ワキツレ:旅人
作者:観世十郎元雅      出典:不明だが「伊勢物語」第9段を取り入れている

あらすじ

(伊勢物語 第9段)
「伊勢物語」は「在五が物語」とも云われ、在原業平一代記といわれています。従って、物語りに出てくる「男」とは即ち業平本人と考えられています。在原業平は平城天皇の第一皇子・阿保親王の第五子で本来皇籍の方ですが、親王の上表で臣籍降下し、在原氏を名乗っています。しかし55代文徳天皇の後継問題に絡み、藤原良房の強引な政策に敗れ、また清和幼帝の婚約者の藤原高子と恋愛問題をおこし立場を悪くしてしまいます。そんなこともあり、都を出て東へ下ります。
むかし男(業平)が友人ひとりふたりと、東(あづま=東国)に住まいを求め旅立ち、武蔵の国と下総の国を分かつ隅田河のほとりに着きます。思えば遠くに来たものだと、流離の境涯を悲しく思っていますと、渡守が「はや舟に乗れ、日も暮れぬ」と催促します。皆舟に乗り、京に残した人のことなど思い出していると、白い鳥で嘴と足の赤い鴫(しぎ)のような水鳥がいました。渡守に問うと、「これなむ都鳥」と聞き、「名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思う人は ありやなしや」と読み、都をしのびます。
(能のあらすじ)
今日は隅田川の対岸で大念仏が催されるため、渡守がその人数を集めています。そこへ都からの旅人がやって来て、続いて女物狂がやってくると告げます。暫く舟を留めて物狂を待っていますと、人商人にさらわれ、行方知れずになった子供を尋ね歩き、都の北白河からはるばる東国までやって来た女が現れます。女は便船を頼みます。すると渡守は狂って見せないと乗せない、と意地悪を云います。女は、隅田川の渡守ならば、日も暮れぬ舟に乗れとこそ云うべきと「伊勢物語」の言葉を引き合いにして遣り込めます。また沖の鷗(かもめ)を見つけ、かの業平が「名にし負はば いざ言問はん 都鳥 我が思う人は ありやなしやと」という古歌を思い出し、渡守に問います。渡守は、あれは鷗だと答えますが、女にたしなめられ、自分は名所に住んでいるものの、歌の心がなく悪かったと謝ります。都の妻を思う業平の心も、子を尋ねる自分の心も思いは同じと話す女を哀れに思い、渡守は舟に乗せてやります。舟の中での旅人の問いに答えて、対岸の大念仏は、丁度一年前の3月15日、人商人に連れられた12~3才の子が、旅の途中に疲れ死んだので、人々が回向しているのだと伝えます。さらに聞いていますと、名は梅若丸、京の吉田の者ということで、その子こそ我が子と知り、悲嘆にくれます。渡守は女を墓所まで案内し、今は後世を弔うよう勧めます。月も出、夜更けて泣きながら南無阿弥陀仏と念仏を唱えていると、塚の内よりわが子の声が聞こえてき、姿も幻に見えつ隠れつします。そうするうちに夜が明けてくると、草の生い茂った塚が残っているばかりでした。
(おわりに)
母親が子供の行方を尋ねる狂女物は何曲かありますが、多くの曲はハッピーエンドで終わりますが、この曲だけ子供と再会できません。一貫して哀愁ただようものがあります。

石田穣二訳注「新版伊勢物語」角川文庫刊を参考にしています
(文:久田要)