能楽師|久田勘鷗|HIDASA KANOH

田村(たむら)解説

前シテ:童子     後シテ:坂上田村麿     ワキ:旅僧     ワキツレ:従僧     アイ:清水寺門前の者
作者:世阿弥     出典:「今昔物語集」巻十一 田村将軍始建清水寺語   清水寺縁起

あらすじ

(今昔物語集では)
今は昔、大和国高市郡の小島山寺という寺に、賢心という苦行僧がいました。夢の告げで長岡京に向かいますと、淀川に金色の水が一筋流れるのが見え、水源を訪ねると、新京の東の山に到りました。山に分け入りますと滝があり、滝の崖の上の草庵に白髪の老翁がいました。僧が尋ねますと、名を行叡(ぎょうえい)といい、二百年もここに住み、お前が来るのを待っていた。自分は出かけるので、お前が代わりに住んで、堂を建て、観音をお造りしなさいと言い、消えてしまいます。僧は、帰ろうにも道が無くなってしまい、仕方がなく住みはじめて三年が過ぎます。その頃、大納言坂上田村麻呂という人が新都造営の長官になり、公務の暇に東の山に行きます。産後の妻に食べさせるため一匹の鹿を捕らえ、裂いている時、不思議な水の流れを見つけ、水源に向かうと滝の下に出ました。誦経の声が聞こえ、尋ねると、賢心が居り、賢心はことの次第を詳しく話します。田村麻呂は造寺を約束し、妻も賛同しますので、光仁天皇から得度の僧一人分を賜り、賢心を得度させ、名を延鎮と改め、東大寺戒壇院で具足戒を受けさせました。田村麻呂と延鎮は協力し合って、黄金の八尺の十一面四千手の観音像を造り奉ります。今の清水寺というのはこの寺のことです。
(前場)
春の季節です。東国の僧が都見物で清水寺にやって来ます。境内の桜の盛りに感心していますと、一人の童子が現れ、木陰を掃き清めます。僧が寺の来歴を聞きますと、童子は坂上田村麿と賢心・行叡居士の縁起を語り、行叡居士とは観音菩薩の生まれ変わりであると話します。そして、辺りの名所を尋ね、共に花見をしています。僧は童子の常人ならぬ様子に、名を問いますと、童子は、私の帰る先を御覧なさいと言い残して、田村堂へと入っていきます。僧は清水寺門前の者に田村麿の供養を勧められ、夜もすがら桜の木陰で経を読んでいます。
(後場)
武将姿の田村麿が現れ、僧の読誦に感謝します。そして、自分が東夷を平らげ、悪魔を鎮め、天下泰平の忠勤をしたのも、清水寺の仏力だと述べ。また、勅命を受けて、鈴鹿の賊を討伐するべく軍兵を進めた時、千手観音が現れ、その助勢で敵を倒すことができたと、観音のありがたさを語ります。
(おわりに)
今昔物語集は平安時代末期に成立した説話集です。全体が、天竺、震旦、本朝仏法、本朝世俗の四部で構成されています。本曲の素材は本朝仏法部に載っています。また、国宝・清水寺縁起絵巻(東京国立博物館蔵・土佐光信作)は、上、中、下の3巻に分れており、合計63メートルに及ぶ大作ということです。実物を見る機会は展示計画に左右されますが、ネット(e国宝)では、国立博物館(四館)所蔵の国宝がデジタル化されており、スライドショーで観ることができます。

馬淵和夫・国東文麿・稲垣泰一校注・訳「新編日本古典文学全集・今昔物語集」小学館刊を参考にしています
(文:久田要)