前シテ:女 後シテ:鬼神 ツレ(前):侍女(3~5人) ワキ:平維茂 ワキツレ(前):従僧 ワキツレ:(前)勢子(数人)
アイ:供女 末社の神
作者:観世小次郎信光 出典:「今昔物語集」巻25平維茂郎党被殺語等 「太平記」巻32鬼丸鬼切事
あらすじ
(太平記・今昔物語では)
太平記には、源平累代の重宝である、鬼切・鬼丸という二振の太刀のことが語られています。中でも「鬼切」は、源頼光と縁の深いものとされています。昔、大和国宇多郡で反化(へんげ)の物が人を取り食らい、牛馬を掴み裂くことがありました。頼光はこれを聞き、郎党渡辺綱に秘蔵の太刀を渡し、成敗させます。渡辺綱が成敗した「鬼の腕」を持ち帰ります。占夢博士の占いでの物忌(ものいみ)七日の満願の日の夜、頼光の老母が訪ねて来、問答の末、鬼に変じて自分の腕を取り返し逃げようとし、頼光に首を斬り落とされますが、そのまま逃げさります。その後、この太刀は多田満仲の手に渡り、信濃の国戸隠山にて、また鬼を斬ったことで、名前を「鬼切」と云うようになります。
本曲の平維茂(これもち)は今昔物語に登場し、豪胆な人となりが伝わります。平安時代中期の武将で生誕死没は不明ですが、源頼光とはほぼ同時代の人です。信濃守の経歴があり、戸隠山とも縁があります。
本曲の成立以前の文献資料としては、このように多くは有りませんが、太平記に“戸隠山の鬼”と書かれているように、その時代には、きっと民間伝承としての説話があったものと思われます。
(前場)
秋の一日、信濃の国戸隠山に、高貴な上臈が侍女を従えて、紅葉狩りの酒宴をおこなっています。一方、鹿狩にきた平維茂一行は、そのことを知り、酒宴を妨げないように、馬から降り、沓を脱いで、姿が見えないよう心遣いをします。すると、女は維茂一行を酒宴に誘い、断りかねた維茂は盃を重ね、美女の舞に見とれます。いつしか酔いがまわり、維茂は寝てしまいます。それを見届けた女たちは、目を覚ますなよ、と言いおいて山に消えます。
維茂の夢のうちに、男山八幡宮の末社の神が現れ、神剣を授け、鬼神を退治するよう神勅を伝えます。
(後場)
維茂が目を覚ますと、山中は雷がとどろいて騒然となります。先程までの女が化生(けしょう)の姿を現し、鬼女となって襲ってきます。維茂は、騒ぐことなく、太刀を抜いて立ち向かい、激しい戦いの末、鬼神を斬り伏せます。
(おわりに)
本曲の出典は、はっきりしません。戸隠地方には鬼無里(きなさ)・旧柵(しがらみ)・別所温泉などに「紅葉」という鬼女の伝説がのこされています。但し、文献としては、「太平記」の鬼丸鬼切の話以外は、江戸時代以降のものが大半であり、それ以前の伝承内容が不明なのが惜しいものです。
馬淵和夫・国東文麿・稲垣泰一校注・訳「新編日本古典文学全集・今昔物語集」小学館刊 及び
長谷川端校注・訳「同・太平記」を参考にしています
(文:久田要)