前シテ:里人 後シテ:足疾鬼 ツレ(後):韋駄天 ワキ:旅僧 アイ:能力
作者:不詳 出典:「太平記」巻8 谷堂炎上の事
あらすじ
(太平記では)
14世紀初頭、後醍醐天皇の皇親政治への思いは強く、南北朝内乱の時代へと突入します。正慶二年(1333年)のことです、宮方の大将は六条少将忠顕(千種殿)で、西山の峯堂に陣を敷きます。洛中では、味方の赤松勢が、劣勢ながら踏みこたえています。しかし、公家で戦に疎い千種殿は、赤松勢と協力することなく単独に六波羅勢と戦い、戦い半ばで退却し、遂に陣を放り出して逃げてしまいます。その後に西山に入った六波羅の軍は、谷堂・峯堂・浄住寺・松尾・葉室・衣笠に乱入して、財宝を奪い、民家に火を放ったため、これらの寺院や民家が灰燼に帰してしまいます。話は変わりますが、釈迦御入滅のみぎり、まだ金棺を閉じていない時、捷疾鬼(足疾鬼)がひそかに沙羅双樹の木の下に近づいて、釈尊の御歯を一本引き抜いて、これを奪います。仏弟子が止める間もなく、須弥山の四天王へ逃げのぼり、韋駄天にこれを差し上げました(別本では、韋駄天が追いかけて取り上げる)。韋駄天は道宣律師に与え、後代々伝えて我が国に渡り、浄住寺に安置されていました。このような由緒ある寺を理由なく焼いたのは、(鎌倉)幕府の滅びる前兆だと、人々は非難しました。世間の非難通りに、この年、六波羅探題仲時ら430余人が近江番場で自刃、鎌倉も新田義貞に落とされ、約150年に渡った鎌倉幕府は滅亡します。
(前場)
出雲の僧が都に上り、東山泉湧寺に大唐渡来の十六羅漢や仏舎利を拝もうと訪れます。寺男の案内で舎利を拝んでいますと、どこからともなく里人がやって来て、一緒に舎利を拝みます。そして、仏舎利のありがたい謂れを述べていましたが、俄かに空が曇り、稲光を発します。里人が、自分は足疾鬼の執心だと明かすと、顔が変わり鬼の様相となります。そして、仏舎利を奪い、天井を蹴破り虚空に飛び去ってしまいます。
僧は、物音に駆けつけた寺男から、釈迦入滅に際して、足疾鬼が歯を盗んだことや、韋駄天が、その歯を取り返した由来を聞き、二人して韋駄天に祈ります。
(後場)
韋駄天が現れ、足疾鬼が天上に逃げるを追いかけ、下界に逃げるを追いつめ、前後左右塞がった足疾鬼がくるくる渦巻くところを、宝棒で打ち伏せ仏舎利を取り返します。足疾鬼は力尽き果て、消え失せます。
(おわりに)
本曲では、浄住寺ではなく、泉湧寺(せんにゅうじ)が舞台です。東山の泉湧寺は御寺(みてら)とも云い、皇室の菩提寺として知られています。舎利殿には牙舎利が容器に納められ、左右に月蓋長者(がつがいちょうじゃ)と韋駄天を従えているそうです。
鎌倉幕府成立は、以前は“いい国作ろう鎌倉幕府”で1192年としていましたが、現在の教科書では“いい箱作ろう……”で1185年としているのに倣い、鎌倉幕府約150年としました。
長谷川端校注・訳「新編日本古典文学全集・太平記」小学館 及び 兵藤裕己校注「太平記」岩波書店を参考にしています
(文:久田要)