前シテ:漁翁 後シテ:白鬚明神 前ツレ:漁夫 後ツレ:天女 ・ 龍神 ワキ:勅使 ワキツレ:従者
アイ:末社の神
作者:不詳 出典:「太平記」巻18 比叡山開闢事
あらすじ
(太平記では)
元弘三年(1333年)鎌倉幕府が滅亡します。しかし、後醍醐帝の下での論功行賞は不正が多く、また大内裏造営などの方針決定は世の不興を買い、各地で挙兵が相次ぎ乱世が続きます。そのような状況の中、功労者の新田義貞と足利尊氏の関係が悪化、後醍醐帝は公卿会議を経て、尊氏討伐を決定し、新田義貞に朝敵追討の宣旨を発します。しかし、戦いは尊氏に有利な展開となり、帝は比叡山に移ります。その後、北畠顕家・楠正成などの活躍で状況は逆転、尊氏は一旦九州に落ちます。しかし、時が味方したのか、尊氏は九州を平定し再び力を蓄え、兵庫での戦を経て、尊氏が勝者となり、後醍醐帝は再び比叡山に移ります。太平記は、公家と武家の思惑、複雑な勝ち負け、裏切り、転向、謀略……で、ストーリーが解りづらいのですが、比叡山は一貫して後醍醐帝を庇護します。足利尊氏にとっては、比叡山は目の上のたんこぶ。後醍醐帝が吉野に移った今こそ、いっそのこと、比叡山延暦寺を無くしてはどうかと、議論をしています。そこに現れた玄恵法印は、敢て反対意見は言わず、比叡山の成り立ちの物語を語ります。
(前場)
霊夢のお告げで、勅使が、琵琶湖の白鬚明神に参詣すると、魚釣りから帰る漁翁に出会います。漁翁は白鬚の神を称え、さらに昔の話をします「釈迦がまだ世に出る前、兜卒天(とそつてん)に住んでいた頃、仏法流布の地を探し飛行しました。その後、世に生まれ80年の生涯を閉じた後に、日本に渡り比叡山の麓に参り、釣りをする老翁に、貴方がこの地の主ならば、この山をくださいと頼みました。老翁は釣りをする場がなくなると、一旦は断りますが、薬師如来が現れ、老翁を説き伏せました」と話し終え、その時の老翁が白鬚明神だと話します。勅旨は、詳しく話す漁翁を不思議に思い、名を尋ねますと、自分こそ白鬚明神と打ち明け、今宵、天燈・龍燈が現れるので、それまで待ちなさいと言い残して、社壇に消えます。
末社の神が現れ、白鬚明神の縁起を語ります。
(後場)
社壇から白鬚明神が神の姿で現れ、勅使をねぎらうため、神楽・催馬楽(さいばら)などの秘曲を尽くして楽を舞います。空の雲居が輝き天女が、湖水の面が鳴動し龍神が、天燈・龍燈をもって現れ、神前に供えて舞を舞います。そして明け方になると、明神に別れを告げ、天女は天路に、龍神は湖水に帰っていきます。そして白鬚明神は御代を寿ぎます。
(おわりに)
太平記では、玄恵法印の話はさらに続き、伝教大師が根本中堂を創建した話など、言葉を尽くして話をしましたので、足利将軍や他の武将も、比叡山の必要性を理解し、旧領を安堵するとともに寄進の土地をつけ加えたということです。
長谷川端校注・訳「新編日本古典文学全集・太平記」小学館 及び 兵藤裕己校注「太平記」岩波書店を参考にしています
(文:久田要)