前シテ:菅丞相 後シテ:雷神 前・後ワキ:法性坊律師僧正 アイ:能力
作者:不詳 出典:「太平記」巻12 大内造営並聖廟の御事
あらすじ
(太平記では)
元弘三年(1333年)六波羅探題滅亡の知らせを受けた伯耆船上山の後醍醐帝は、上洛の途につき、途中で鎌倉幕府滅亡の報をうけます。その後、各地の探題も落ち、北条方の諸将も、またたくまに滅んでいきます。鎌倉幕府滅亡後、後醍醐帝の隠岐配流中に不遇だった人々は、我が世の春を謳歌します。このような状況で、論功行賞が行なわれますが、後宮の内奏による不正が多く、所領一ヶ所に四、五人の所有主ができるなど、国の動乱は止みませんでした。建武元年(1334年)大内裏の造営が決定されます。兵乱の直後に諸国に税を課してまで行なわれる大内裏造営の企てには、眉をひそめる者が多くいました。まして、大内裏は天災を防ぐ方法がなく、今まで何度も火災に遭って来ています。昔のことです、菅丞相(かんしょうじょう=菅原道真)は、大臣兼近衛大将として天皇の信任が厚く、摂政・関白も丞相に肩を並べる人はいませんでした。この頃、藤原時平は、官位も封禄・賞も丞相に越されてしまい、面白くありません。一度は呪詛(じゅそ)しますが、うまくいきません。それならば讒言(ざんげん)で罪に陥れようと考え、醍醐天皇に讒言し、受け入れられた結果、菅丞相は太宰権師として筑紫に流され、一家散りゞになります。菅丞相の恨みは骨髄に達したまま、その後亡くなられてしまいます。同年夏の末、延暦寺十三代座主・法性房尊意贈僧正が修行をしている折、持仏堂の板戸をとんとんと叩く音がしますので、戸を押し開けて見ると、筑紫で亡くなった菅丞相でした、………………………(能の場面に続く)
(前場)
延暦寺座主法性坊律師僧正が、天下泰平祈願の仁王会を執り行なっていますと、菅丞相の霊が現れ、中門の扉を敲きます。僧正は、深更に聞こえる音を不思議と思い、覗いてみますと丞相が立っています。心騒ぐも招き入れます。貴方は筑紫にて亡くなったと聞き、弔いをしたのですが、届きませんでしたかと聞きますと、弔いを感謝し礼を返します。そして、これから雷神となって内裏の公卿等に報復をするので、勅命があっても、参上して邪魔をしないように頼みますが、僧正は一二度は断るが、三度目には参内すると答えます。すると、菅丞相の霊は、怒って仏前の柘榴(ざくろ)を噛み砕いて妻戸に吐きかけると、火焔に変わり燃え上がりますが、僧正は法力でこれを消します。この煙に紛れて丞相は姿を消します。
やがて三度目の勅命で、僧正が内裏に参内します。
(後場)
僧正は紫宸殿にて祈祷を始めます。すると、それまで黒雲に塞がれていた内裏が、俄かに明るくなり、少し安心した処に、再度黒雲と共に雷神が現れ、僧正が居場所を変える度、そこを避けながら、内裏の四方を鳴り廻りますが、ついに僧正の法力に屈します。雷神は帝から天満大自在天神の贈官を得て、黒雲に乗って虚空に去っていきます。
長谷川端校注・訳「新編日本古典文学全集・太平記」小学館 及び 兵藤裕己校注「太平記」岩波書店を参考にしています
(文:久田要)