能楽師|久田勘鷗|HIDASA KANOH

砧(きぬた)解説

前シテ:蘆屋某の北方     後シテ:北方の亡霊     ツレ:夕霧     前・後ワキ:蘆屋某     アイ:下人
作者:世阿弥     出典:和漢朗詠集(秋・十五夜)  蒙求 四三・蘇武持節

あらすじ

(和漢朗詠集等では)
まず砧の説明、アイロンのない時代、洗濯した布を生乾きの状態で台にのせ、棒や槌でたたいて柔らかくしたり、皺を伸ばすための道具です。また、装束に使う絹布などは糊がついておりこれを柔らかくし、光沢を出すために砧で打つことが行なわれた(ウィキペディア)、とあります。
本曲のストーリーには、出典の決定打となるものは見当たりません。世阿弥が、和漢朗詠集の詩をもとに創作したものと思われます。和漢朗詠集の詩とは織錦機中 已弁相思之宇 壔衣砧上 俄添怨別之声  已上十五夜賦  (公乗億)
(直訳)錦を織る機(はたもの)の中には 已(すで)に相思の字を弁(わきま)え 衣を壔(う)つ砧の上には 俄に怨別の声を添ふ已上(以上)十五夜の賦
(現代語訳)十五夜の月光があまりにも明るいので、妻が夫のため錦に織り込んだ相思の情をうたう文字も、機の中ではっきりと読み取れることだろう。また、楚人が遠く流され、その帰りを待ちわびる妻が、毎年秋になると衣を壔って夫を待ったというが、その砧の音が、このような名月の夜には一段とうらみがましく聞こえたことだろう。  以上十五夜の賦
詩の別の解釈では、楚人の話ではなく、前漢の蘇武という人が、勅使として匈奴に使いに行き、捕らえられてしまいますが、後に武帝が匈奴と和睦することで故国に帰ってきます。実に十九年の歳日が経っていました、という故事に基づくというものもあります。本曲はこちらの説をとっています。
(前場)
九州蘆屋某は、訴訟で上京して三年が経ちました。故郷のことも心配になり、今年の暮れには帰るという便りを召使の夕霧に持たせて、故郷に下します。妻は夕霧の話を聞くも、都の花盛りを思い、夫の薄情を恨み、留守を守るつらさを訴えます。そして砧の音に、蘇武が胡国に捨て置かれた際に、故郷で砧を打つ音が聞こえた故事を思い起こし、砧を打つことにします。やがて都から、今年の暮れも帰れないという知らせが入ります。妻は夫が心変わりして、自分を捨てたのではないかと疑い、心弱くなり病を患い、死んでしまいます。
(後場)
蘆屋某は妻の死に、帰国し菩提を弔っていると、妻の霊が現れ、恋慕の妄執のため地獄の苦しみを受けていると訴え、また蘇武は雁に文をつけて故国に連絡したのにと、夫の不実を恨みますが、法華経の功徳で成仏します。
(おわりに)
申楽談儀には、世阿弥の言葉として「砧の能、後の世には知る人有まじ、物憂き也」と書かれてあり、自信をもって創作したことが伺われます。

菅野禮行校注・訳「新編日本古典文学全集・和漢朗詠集」及び早川光三郎著/三澤勝己編「蒙求」を参考にしています
(文:久田要)