前シテ:里女 後シテ:野干(狐の異名) ワキ:玄翁道 アイ:能力
作者:日吉左阿弥 出典:「下学集」犬追物
あらすじ
(下学集では)
下学集は、室町時代の日常語彙約3000語を18部門に分け、簡単な説明を加えた辞書だそうです。
昔、西域インドの班足太子という王様のお后は、大層残虐な方で、班足太子をそそのかして、千人もの人の首を刎ねさせたのです。その後支那(中国)の国に生まれ替わり、国王である幽王のお后となりました。名前を褒姒と云います。この褒姒も国を傾け、人々を惑わせました。死んだ後、今度は日本に生まれたのです(三国妖狐伝説)。近衛院が帝の時代、女の名前を玉藻の前と申します。この女人、帝の寵愛を得て、人々を傷つけること言い知れぬものがございました。そして、この玉藻の前は白狐に成って、人を殺害することは言うまでもありません。人々はこれを退治しようと、犬を放って白狐を追い出し、馬上から射ようと試みましたが、白狐はこのことに気付き、矢から身を守るため自ら石に変化したのでした。飛ぶ鳥、地を駆ける獣、石の殺気に当たったものは、動くことも出来ず、倒れ臥してしまいます。そんな石を、人々は「殺生石」と呼ぶようになりました。今では下野(しもつけの)の国・那須ヶ原にあるそうです。
(別書には)さらに、應永二年(1395年)猛春十一日、玄翁が三度頂をなでて、会取会取(了解々)と云うと、石が振動して三つに破裂したとあります。
(前場)
玄翁和尚が能力と供に、奥州から都に上る途中、下野国那須野の原にさしかかると、空を飛んでいた鳥が、ある石の上で急に落ちてしまった、と能力が申します。不思議に思っていると、里の女が現れ、その石は殺生石という恐ろしい石なので、近寄らないように注意します。玄翁は女にその訳を問います。昔、鳥羽院に仕えていた玉藻乃前は、才色兼備の女性で、帝のお気に入りでありましたが、不思議の事が多く、帝の悩みが深まります。陰陽師の安倍泰成が占うと、玉藻乃前が化生の者であることが判明します。正体を見破られた化生の者は、この野に逃げたが、殺され、その魂が殺生石になったのだと、詳しく話し、自分がその石魂だと打ち明け、夜になれば懺悔の姿で現れると約束し、石に隠れます。
(後場)
玄能和尚は、衣鉢を授けるべく供養をし、引導を与えると、石が二つに割れ、中から野干(狐)が現れます。そして、天竺・大唐・日本と、世を乱さんとしたが、調伏を受け、この野に隠れ住んだが、射伏せられたと述べます。そして執心だけが残り、殺生石になった。しかし、今日供養を受けたので、以後悪事をすることは無いと約束し、消えていきました。
(おわりに)
下学集でも、本曲でも同様に、「犬追物」の起源は、化生の野干退治の練習を、犬相手にしたことに始まる、と述べています。勿論、物語り自体が事実とは思えませんので、この起源は??です。また、大工や石工が使う、金槌の一種の玄翁(玄能)は、本曲の玄翁和尚が石を叩き割ったことに由来します。
駒澤大学総合教育研究部日本文化部門「情報言語学研究室」HP・萩原義雄著を参考にしています
(文:久田要)