前シテ:化尼(けに) 後シテ:中将姫 ツレ(前):化女(けにょ) ワキ:旅僧 ワキツレ:従僧(2~3人)
アイ:当麻寺門前の者
作者:世阿弥 出典:「古今著聞集」巻2―36横佩(よこはぎ)大臣女当麻寺曼荼羅織事
あらすじ
(古今著聞集では)
淳仁天皇(764年孝謙上皇に廃され、淡路に配流……淡路廃帝)の御世のことです。横佩大臣(藤原豊成)の娘(中将姫)は清らかな性格で、当麻寺の一画に庵を結んで、阿弥陀如来の浄土に生まれることを願っていました。そして、生身の弥陀を見ようと七日祈念をしていますと、一人の比丘尼(化尼)が現れ、阿弥陀の世界を見ようと思うならば、百駄(馬百頭分)の蓮の茎を集めなさい、と言います。姫は、大臣と帝の協力を得て蓮の茎を集めると、尼は蓮の茎から糸を紡ぎ出します。その糸を自ら掘った井戸の水に濯ぐと、糸は自ずから五色に染め上がりました。その日の夕方にはさらに化人の女が現れ、化尼から糸を受け取ると、夜10時頃から織り始め、夜中の4時頃には一丈五尺(一丈は約3メートルなので、4.5メートル四方)の曼荼羅を織り上げ、化女は消えてしまいます。残った化尼は、自分は極楽世界の教主(阿弥陀如来)で、先程の織姫は左の脇侍の観世音菩薩ですよ、と明かし、西の空に消えていきます。
(前場)
念仏の行者が熊野詣での帰りに、当麻寺に参詣します。そこに、老尼と連れの女が参詣に訪れ、弥陀の教えを語ります。僧が寺の由来を問うと、蓮の糸を染めた染殿の井戸や、染めた糸を懸けて乾したために、蓮の花の色に咲く桜の木を説明します。さらに僧は、当麻の曼荼羅の由来を問います。尼と女は、47代の帝・廃帝の御世、横佩の右大臣豊成の息女・中将姫がこの寺に籠って、生身の弥陀を拝みたいと、毎日称讃浄土経を読誦していましたところ、ある夜に老尼姿の弥陀如来が現れた古事を話し、今日が丁度彼岸の中日なので、法事のために来たのだと話します。そして、自分たちがその化尼・化女だと云い、そうこしているうち、光がさして、花が降り、よい香りがして、二人は雲に乗って二上山へと消えていきます。
旅僧は当麻寺門前の者から、昔、中将姫が曼荼羅を織ったことや、化尼・化女が織りを助けたことなどを聞き、重ねて奇特を見ようとします。
(後場)
中将姫の精魂が現れ、浄土経を称え舞いを舞います。すると、明けの鐘が鳴り、夜は明けていき、僧の夢も覚めます。
(おわりに)
話は淳仁天皇の御世のことです。一般的には、淳仁天皇は廃された後、淡路に流されたと言われています。色々な伝説があるもので、琵琶湖北端の菅浦の地にも淳仁天皇を祭る神社があり、天皇はこの地に流されたとの言い伝えが残っています。陸の孤島とも言われ、集落の入り口には「四足門」という茅葺の門があり、関所の役目を果たしていました。ここでは淡路は淡海(琵琶湖のこと)の間違いだそうです。
永積安明・島田勇雄 校注「古今著聞集」日本古典文学大系 岩波書店刊を参考にしています
(文:久田要)