前シテ:尉 後シテ:住吉明神 ツレ(前):姥 ワキ:阿蘇宮神主友成 ワキツレ:従者(2人) アイ:高砂の浦人
作者:世阿弥 出典:古今集序と歌 伊勢物語第117段の歌
あらすじ
(古今集序他では)
高砂 住の江の松もあひ生ひ(相生)のやうに覚え
■かくしつつ 世をや尽くさむ 高砂の 尾上にたてる 松ならなくに(よみ人しらず)古今集巻17雑上908
(訳)このようにして最期まで人生を送るのだろう、高砂の尾上の立っている老松でもないのに
■われ見ても 久しくなりぬ 住の江の 岸の姫松 いくよ経ぬらむ(よみ人しらず)古今集巻17雑上905
(訳)私が前に見てからでも久しくなった、住江の岸の姫松はどれほど時代を過ごしてきたのだろうの二首が取り上げられています。
上記の歌から派生して、下記の歌もあります
■誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松もむかしの 友ならなくに(藤原興風)古今集巻17雑上909
(訳)心許せる友はいなくなってしまった。誰を親しい友人としようか、長寿で有名な高砂の松も昔からの友人ではないのに
「伊勢物語」では、昔、帝が住吉に行幸なさった。その時、男が帝に代わって、次のような歌を詠みました■「われ見ても 久しくなりぬ 住の江の……………」。その時、住吉の大神が姿を現されて、■「むつましと 君はしらなみ みづがきの 久しき世より いはいそめてき」(訳)私と皇室が親しい間柄だとご存知ないでしょうが、私はそもそもずっとずっと久しい世から皇室をあがめ、お守りすることになっているのです、とあります。
本曲は、長寿と夫婦の愛情、そして天皇の御世を祝福するというのが基本テーマで、上記の和歌は素材として使われています。
(前場)
肥後国阿蘇の宮の神主・友成の一行が、旅の途中高砂の浦に立ち寄り、浦の景色を眺めています。そこに竹杷(さらえ=熊手)を持った尉と、杉箒(すぎほうき)を持った姥がやってきて、松の木陰を掃き清めます。友成は、高砂の松はどれかと尋ね、また、距離の離れた高砂・住吉の松に相生という名があるのは何故かと聞きます。老人は、この松こそ高砂の松で、距離が離れていても夫婦の心は通じるものと語り、自分は住吉の者、この姥は高砂の者だと言います。老人たちは様々な故事を示し、御代を寿ぎます。そして、実は自分達は相生の松の精夫婦だと明かし、住吉で待つと言い残して小舟に乗って沖に消えます。
(後場)
友成一行は、高砂や、この浦舟に帆をあげて、月もろともに出汐の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて…………と、住吉へと急ぎます。住吉に着くと、住吉明神が現れ、千秋楽は民を撫で、万歳楽には命を延べ、相生の松風颯々(さっさつ)の聲(こえ)と、颯爽と舞を舞います。
久曽神昇編「日本歌学大系別巻四・古今集序」 及び石田穣二訳注「伊勢物語」角川ソフィア文庫を参考にしています
(文:久田要)