前シテ:漁 後シテ:龍神 前ツレ:浦の女 後ツレ:弁才天 ワキ:臣下 ワキツレ:従臣(2人)
アイ:明神末社 又は 社人
作者:金春禅竹(一説) 出典:竹生島縁起ほか
あらすじ
(竹生島縁起等では)
竹生島及び周辺には、多くの古文書・伝承が多く、特に、竜・大蛇・鯰などに絡んだ雨乞い伝説などが多く伝わっています。本曲は、これら多くの伝承を参考にして脚本化されたものと思われます。
周囲1.9キロのこの小島は、湖中からほとんど垂直に突立つている。昔から湖底に根をつながず浮いているのだという伝承があった。越前の漁夫で水練の達者な男がいて、ぜひそれを確かめたいと思って海津(かいづ)の浜から潜ろうとした。海津の人々は、竹生島の下に竜がいて、今までに潜った人で帰ってきたためしがない、といって止めたのだが、男は聞かずに潜っていった。ところが午前10時頃に潜っていった男が、待てど暮らせど戻ってこない。日暮れ方にやっと青い顔をして舟で戻って来て、島の底に竜はいなかったが巨大な鯰(なまず)が群れていたと語った。琵琶湖には鯰がたくさんいる。竹生島の弁財天はことに鯰がお気に入りらしく、仲秋の名月の夜は、島の北岸の砂浜の上へおびただしい鯰が上がって来て、夜すがら月光にたわむれながら跳ねまわるそうである(近江の伝説より)。
また弁財天の始まりには、聖武天皇が夢枕に立った天照大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まりです。行基は、早速弁才天像を彫刻し、ご本尊として本堂に安置しました(宝厳寺のHPより)とあります。
(前場)
延喜帝(醍醐天皇)の臣下が竹生島参詣を志し、琵琶湖・鳰(にお)の浦に来ますと、老人と若い浦の女の乗った釣り舟がやってきます。便船を頼みますと、老人は快く舟に乗せ、風もないのどかな景色を楽しみながら島に着きます。老人は臣下を神前に案内しますと、浦の女も一緒について来ます。ここは女人禁制と聞いていたがと問いますと、弁才天は女性なので隔てはしませんと答えます。そして、自分たちは人間ではないと言い、浦の女は社壇に消え、漁翁は水中に姿を消します。
臣下たちは、社人に宝物を見せてもらっています。
(後場)
社殿が鳴動し、光輝き、虚空に音楽が奏でられ、弁才天が現れ天女の舞を舞います。続いて湖上に波風が鳴動して龍神が現れ、臣下に金銀珠玉を捧げ激しい舞を舞います。そして、衆生済度は様々なので、弁才天と龍神は衆生を救う二つの形だと述べ、弁才天は社壇に、龍神は湖水へと帰ります。
(おわりに)
能と竹生島との関りでは、平経正が木曽義仲との戦に赴く途中、竹生島に詣で、琵琶の秘曲、上玄(しょうげん)、石上(せきしょう)を奉る話もあります。
駒敏郎・中川成分著「日本の伝説19・近江の伝説」角川書店刊を参考にしています
(文:久田要)