能楽師|久田勘鷗|HIDASA KANOH

難波(なにわ)解説

前シテ:尉     後シテ:王仁     前ツレ:男     後ツレ:木華開耶姫(このはなさくやひめ)     ワキ:朝臣     ワキツレ:従者(2人)
アイ:梅の精 又は 難波の里人
作者:世阿弥     出典:古事記・仁徳天皇  古今集の序

あらすじ

(古事記・古今集では)
「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」王仁(古今集)
(難波の港に、咲いたよこの花が。冬の間は籠っていて、今はもう春になったというわけで、咲いたよこの花が)古今集仮名序の古注には、「おほさざき(大雀)のみかどの、難波津にてみこときこえける時、東宮をたがひにゆづりて、位につきたまはで、三とせになりにければ、王仁といふ人のいぶかり思て、よみてたてまつりけるうた也、この花は梅のはなをいふなるべし」とあり、王仁が仁徳天皇に献った歌です。
古事記によりますと、仁徳天皇の御世のことです、天皇は高山に登って、四方の国を見て言いました“国の中に煙りが立っていない、これは国が貧しいためだ、今から三年間は悉く人民の課(みつぎ)、役(えだち)を除(ゆる)せ”と。このことで、宮は壊れ、雨が漏るようになりましたが、修繕することもなく、器で漏る雨を受け、雨漏りのない場所に避けて居るようにしました。後に国の中を見ますと、煙が満ちていました。これに拠って、人民は富めりと思い、課、役を科せました。このようなことがあり、百姓(おほみたから)栄えて、役使に苦しむことがありませんでした。その御世を称えて、聖帝の世と言います。
このような天皇ですが、女性問題には苦しんだようです。正妻・大后の石之日売命(いわのひめ)の嫉妬がきつく、吉備の黒日売(くろひめ)、八田若郎女(やたのわかいらつめ)との恋も思うにまかせません。さらに、庶妹女鳥王(ままいもめどりのおほきみ)には振られ、それが基で弟の速總別(はやぶさたけ)を討ち取ることにもなってしまいます。
(前場)
三熊野に年籠りしていた朝臣が、都に帰る途中難波の里に着きます。そこで、梅の木陰を掃き清めている老翁と男に出会います。朝臣の問いに老翁は、王仁の歌にもある難波の梅について語り、それは大鷦鷯(おおさざき=仁徳)天皇のことを詠んだ歌だと、人民を慈しんだ天皇の善政を語ります。そして、男は梅の花の精、老翁は百済国の王仁と名のり、夜には春鶯を舞うから待っていなさいと言い消えます。
(後場)
音楽とともに、木華開耶姫と王仁が現れます。まず、木華開耶姫が天女の舞を舞います。続いて王仁も神舞を舞い、聖人たちの御世が再来し、天下を守り治むることを祝います。
(おわりに)
「難波津に咲くや………」の歌は、平安時代には誰でも知っている歌の代名詞になっていました。大阪市の浪速区・此花区の名は、この歌から引用されており、他にも植物園「咲くやこの花館」などもあります。

倉野憲司校注「古事記」岩波文庫刊 及び ネットHP水垣久著「やまとうた」千人万首を参考にしています
(文:久田要)