能楽師|久田勘鷗|HIDASA KANOH

錦木(にしきぎ)解説

前シテ:男     後シテ:男の亡霊     ツレ:女     ワキ:旅僧     ワキツレ:従僧(2~3人)     アイ:里人
作者:世阿弥     出典:俊秘抄(上)

あらすじ

(俊秘抄では)
「俊秘抄」とは、1113年に源俊頼によって書かれた歌論書で、別名を「俊頼髄脳」「俊頼口伝」とも言います。関白藤原忠実の娘・泰子(鳥羽天皇の皇后)のための作歌の手引書です。
「にしき木は ちつかに成ぬ 今こそは 人にしられぬ ねやのうちみめ」(源俊頼)
「あらてくむ かとにたてたる 錦木は とらすはとらす たれかくるしき」(源俊頼)
錦木というのは陸奥国の習慣で、男が女のもとに夜這う(求婚する)時に、手紙を送るのではなく、薪を切り、日毎に一束、女の家の門に立てるもので、逢おうと思う男が立てたものは、程なく取り入れ、その後は男は女と対面して口説くことが出来ます。逢いたくないと思う男の立てたものは、取り入れないでおくのですが、千束を限りにして三年立てるのです。それを尚、取り入れないときは、男は諦めることになっています。錦木というのは、まだらに色がついているところから言うのです。また、けふ(狭布)の細布というのは、これも陸奥国のもので、鳥の毛を織った布です。(希少な材料で織ったものなので)幅も狭く、長さも短いものなので、上に着ることはなく、肌着として下に着るのです。そういう訳で、背中ばかりを隠し、胸までは隠れないので、歌に「胸合わず」と詠むのです。
「錦木は たてなからこそ 朽ちにけれ けふの細布 むねあはすして」(能因法師)
「みちのくの けふの細布 ほとせはみ 胸あひかたき 恋もするかな」(源俊頼)
(前場)
旅の僧が、修行の途中に陸奥狭布(きょう)の里に着きます。そこに、錦木をもつ男と、細布を腕にかけた女が恋のつらさを嘆きながらやって来ます。僧が二人の売り物を珍しがり尋ねます。二人は、いずれも当地の名物で、恋の道に縁のない、世捨て人が知らないのも道理と言います。そして「錦木は 立てながらこそ 朽ちにけれ 狭布の細布 胸あはじとや」と詠い、宿に帰ろうとします。僧が尚も問うと、男は錦木の由縁を述べ、近くに三年間錦木を立て続けた男の錦塚があると教え、二人は僧を錦塚へと案内し、塚の内に姿を消します。里人が現れ、錦木、細布のことを語り、二人の弔いを勧めます。
(後場)
僧が弔っていますと、先程の二人の霊が現れ、供養を感謝します。そして昔の幻をご覧ぜよと、古塚は人家となり、女は機を織り、男は錦木を持って門を敲き(たたき)ますが、内より返事がなく、聞こえるのは機織の音と秋の虫の音ばかり。そうして三年が経ったと語り、「錦木は 千束になりぬ 今こそは 人に知られぬ 閨の内見め」と詠い、今宵こそ会うことができると、喜びの舞を舞います。やがて僧の夢が覚め、朝の野中の塚に戻りました。

関西大学図書館蔵「俊秘抄」俊頼髄脳研究会編 和泉書院刊を参考にしています
(文:久田要)