能楽師|久田勘鷗|HIDASA KANOH

野守(のもり)解説

前シテ:野守の翁     後シテ:鬼神     ワキ:山伏     アイ:春日の里人
作者:世阿弥     出典:袖中抄第十八・野もりのかがみ   奥儀抄  俊秘抄

あらすじ

(袖中抄では)
「はし鷹の 野もりのかがみ えてしがな おもひおもはず よそながらみん」新古今集
(はし鷹の野守の鏡がほしいものだ、あの方が自分を思っているかいないか、離れていても見れるから)
“はし鷹の野守の鏡”という古より申し伝わるものがあります。昔、雄略天皇(天智天皇とも云う)は狩を好み、野に出て狩をした際に、鷹が逃げて見えなくなりました。野守に聞くと、鷹の居場所を説明します。天皇は、どうしてここに居ながら、それが分るのかと問います。野守は、この野の水たまりに鷹の影が映っていたので分りましたと答えます。そして、この水は、はし鷹の野守の鏡の名で伝わっています、と答えます。また別の伝えでは、徐君(中国の徐の君主)の持っていた鏡のことで、その鏡は人の心の内を照らせる不思議な鏡でした。世の人々がこぞってほしがります。徐君は、この鏡を持ち続ける自信がないと思い、塚に埋めてしまいました。さらに別の言い伝えでは、野守の鏡とは野を守る鬼が持っていた鏡ということです。国王は、その鏡が、人の心の内を照らすいみじき鏡と聞いて、差し出すように命じますが、鬼が惜しんだので、野を焼き払おうとしますと、鬼は国王に奉ったということです。
(前場)
出羽国の羽黒山の山伏が大峰・葛城山へ参る途中、大和の春日の里を訪れますと、一人の野守の老人がやって来ます。山伏は、近くの謂れありげな池について問うと、この水は、自分たちのような野守が朝夕に影を映すので、野守の鏡と云いますが、本当の野守の鏡は、昔鬼神が持っていた鏡のことを云うのだと答えます。山伏が「箸鷹の野守の鏡………」の歌は、この池について詠まれたのかと聞くと、老人は語ります。昔、この野で狩があった時、御鷹が逃げました、皆が探しますが見つかりません。一人の野守が水の底を指し、ここに居ますよと言い、狩人が寄って見ると、鷹が水に映っています。このことから歌が詠まれたのだと答えます。さらに、山伏が本当の野守の鏡を見てみたいものだと言うと、鬼の持つ鏡は恐ろしいので、この水鏡を見ていなさいと言い、塚に消えます。
山伏は、里人から鏡の名の由来を聞き、先の老人は鬼神の化身であろうと告げられます。
(後場)
山伏が奇特を喜び、塚の前で祈っています。鬼神が鏡を持って現れ、鏡に天地四方八方を映して見せ、地獄に帰ろうと、大地を踏み破って奈落の底へ入っていきます。
(おわりに)
万葉集「あかねさす 紫野行き 標野(しべの)行き 野守は見ずや 君が袖振る」(額田王)という有名な歌にも野守は登場します。額田王(ぬかたのおおきみ)は元々大海人皇子の妃でした。大海人の兄・中大兄皇子(天智天皇)の求めで中大兄皇子の愛人になったと云わっています。大海人皇子との微妙な関係に、額田王は歌で、あの野守が持つという不思議な鏡に映ってしまったら困りますよ、と忠告します。

久曾神昇編「日本歌学体系 別巻二 袖中抄」風間書房刊を参考にしています
(文:久田要)