能楽師|久田勘鷗|HIDASA KANOH

花筐(はながたみ)解説

前シテ:照日の前     後シテ:照日の前(狂女)     ツレ(後):侍女     子方:王     ワキ(後):官人     ワキツレ(前):使者
ワキツレ(後)興昇(二人)
作者:世阿弥     出典:日本書紀・継体天皇

あらすじ

(日本書紀では)
継体天皇(男大迹王=をほどのおおきみ)は応神天皇の五世の孫とありますから、随分と血の繋がりが薄い方です。母振媛の里である越前国坂井の三国に居られました。都では、武列天皇が亡くなり、跡嗣が絶えそうになっていました。大伴金村大連が中心になり、男大迹王を擁立すべく三国に迎えにまいります。王には既に尾張連草香の娘の目子媛(めのこひめ)という妃がおり、二人の皇子もいます。男大迹王は皇位を継ぐと同時に、武列の姉の手白香皇女(たしらかのひめみこ)を皇后とします。後日、目子媛の二人の皇子が、安閑天皇・宣化天皇、手白香皇女の皇子が欽明天皇に即位します(このあたりは歴史家の中に異論が多くあります)。継体天皇は河内国樟葉宮で即位しますが、大和の磐余玉穂宮に入るまでに19年かかっており、スムーズな即位ではなかったことが窺われます。さらに、在世期間は、朝鮮半島の激動期に重なっており、その影響を受けた、磐井の反乱の鎮圧など、国内外の懸案に対処する毎日でした。その死も謎につつまれ、日本書紀によれば82歳で病没し、藍野陵(摂津国三島郡藍野)に葬ったとあります。しかし、聞くところによると、という表現で天皇、皇太子、皇子皆死んでしまった、とも記されています。
(前場)
越前国の味真野におられた男大迹皇子は、急遽皇位継承されることになり、急に上洛します。皇子の寵愛深い照日の前は、暇をもらい里帰り中です。皇子は使いの者に命じ、手紙と花筐を照日の前の基に届けさせます。その文を読んだ照日の前は、花筐を抱いて家に戻っていきます。
(後場)
即位し、継体天皇となり玉穂宮に居られます。そして、秋になると紅葉狩りに出かけます。一方、皇子を思い心乱れた照日の前は、侍女を伴い都へやって来ます。そして、帝の行列に行き会います。官人は照日の前を見苦しい狂女とばかり思い、払いのけるときに、花筐を打ち落としてしまいます。照日の前は、君(帝)の御花筐を打ち落としたと責めます。そして、皇子が味真野におられた当時のことを話し、恋のかなえられぬ悲しみを嘆き、泣き伏します。官人は宣旨であるから、車の近くで狂って舞い遊びなさいと言い、照日の前は、漢王と李夫人の故事を物語り、情を訴えます。帝は花筐を取り寄せて見ると、昔使っていた花筐に違いありません。そして従来の如く召し使うことになり、喜んで一緒に宮に向かいます。
(おわりに)
継体天皇陵は、江戸時代に大阪府茨木市の太田茶臼山古墳に治定されました。しかし、その後の調査で、この古墳は時代が一世紀ほど古いものと判明し、現在では、隣接する高槻市の今城塚古墳こそ継体天皇陵と考えられています。面白いことに、宮内庁所管の陵は、あくまで太田茶臼山古墳なので、今城塚古墳は天皇陵でありながら自由に出入りでき、市によって調査され公園整備されています。

宇治谷孟著「日本書紀」講談社学術文庫刊を参考にしています
(文:久田要)