能楽師|久田勘鷗|HIDASA KANOH

雲雀山(ひばりやま)解説

前・後シテ:乳母侍従     子方:中将姫     ワキ:右大臣豊成     ワキツレ(前):中将姫の従者
ワキツレ(後):豊成の従者(2~3人)     アイ:鷹匠・勢子・犬引
作者:世阿弥(一説)     出典:「古今著聞集」巻2―36  中将姫伝説

あらすじ

(中将姫物語では)
聖武天皇(在位724~749)の御世、右大臣藤原豊成(横佩の大臣)は、天皇の病の元凶の怪物を退治した褒美に、帝の寵愛の女官・紫の前を賜りましたが、十年ほど御子ができません。明神の宣託で初瀬寺(長谷寺)観音にお参りし、ようやく姫君が誕生します。帝も喜び、三位中将の位を授けます。このことで中将姫と呼ばれるようになりました。その後、姫5歳で母が亡くなり、7歳の折、豊成は後妻の照夜の前を娶ります。中将姫は、照夜の前を母と考え一生懸命に尽くすのですが、仲がうまくいきません。そのうち照夜の前は姫を憎むようになり、刀で殺そうとしたり、毒殺しようとしますが、何故か上手くいきません。13歳の折には、淳人帝から出仕の誘いもありますが、中将姫は、帝の悩みである竜田川の鳴動を鎮めることで、これを断ります。そして遂に14歳の折に、照夜の前の讒言により紀伊国有田郡雲雀山(一説には大和国宇陀郡雲雀山)という横佩家の領地に連れていかれ、殺されかけますが、松井嘉藤太は姫の純真さに触れ、殺すに偲びず、妻と一緒に姫を匿い育てます。それから数年の時が過ぎ、秘密を唯一知っている、豊成の寵臣・国岡将監は、豊成公と姫君を再会させようと、豊成公を雲雀山の鹿狩に誘います。中将姫と再会した豊成は、最初疑いますが、嘉藤太の妻の説明に納得し、姫を都の館に連れて帰ります。困ったのは照夜の前です。自分の愚かな所業に、心の鬼に責められ、遂に川に身を投げ行方知れずになります。その後、姫は嘉藤太の妻と一緒に当麻寺で出家します。
(前場)
右大臣豊成はさる人の讒言を信じ、わが子中将姫を雲雀山で殺すよう家臣に命じますが、家臣は殺すに偲びず、庵をつくり姫を匿います。そして姫にしたがう乳母が四季の花を売り、貧しいながら姫を養っています。今日も乳母は里へと出かけます。
(後場)
一方、横佩の右大臣豊成は狩装束で雲雀山に鷹狩りにやってきます。そこに乳母侍従が花売りに来ます。
豊成の従者は身の上を尋ねますが、乳母は花を買うように頼み、花に託して身の上話を語ります。従者は花を買い上げ、さらに話を促しますと、霞網にかかった鵙(もず)のように、身動きならぬ姫が痛わしいと舞を舞います。豊成公は乳母侍従に気づき、さらに、讒言により姫を失ったことを悔いていると言い、姫の行方を尋ねます。乳母は、姫はこの世にありませんと偽りますが、豊成公の真心に触れ、公を庵に案内し、親子の対面となります。そして一行は奈良の都に帰っていきます。
(おわりに)
この後、中将姫の祈願に答えた化尼・化女により、当麻寺の本尊・曼荼羅を一晩で織り上げる物語へと続き、能の曲「当麻」に採られています。「雲雀山」+「当麻」=中将姫伝説ということです。

当麻寺中之坊住職 松村実秀 発行「中将姫物語」を参考にしています
(文:久田要)