能楽師|久田勘鷗|HIDASA KANOH

松風(まつかぜ)解説

シテ:松風     ツレ:村雨     ワキ:旅僧     アイ:浦人
作者:世阿弥(改作)     出典:撰集抄巻八 十二話 他

あらすじ

(撰集抄等では)
昔、行平の中納言(阿保親王の次男、在原業平の兄)という人がおられました。身に過つことがあり、須磨の浦に流されていました。その頃(文徳天皇御宇之時850~858年)に宮中の知人に送った歌があります「わくらばに 問ふ人あらば すまの浦に もしほたれつつ わぶとこたへよ(古今集)」(もしたまたま私の様子を聞く人があれば、須磨の浦で藻塩の水が垂れるように、泣いて侘しく暮らしていると、答えてください)。そのような状況で、絵嶋の浦(淡路島の北東部)の海士の中に心にとまる人がいたので、「どこに住んでいるのですか」と問いますと、海士は「しら浪の よするなぎさに 世をすごす あまの子なれば やどもさだめず」と詠んで去ってしまいます。行平中納言は、歌をわが身に置き換え、涙が流れます。夜も昼も海に潜っている海士の中にも、このように情趣の解った人もいるのだなと、感慨に耽るのでした。
また行平には、因幡国の国守として下向する際に詠んだ歌が百人一首に採られています。「立ち別れ いなばの山の みねにおふる まつとし聞かば 今帰り来む」(別れて因幡の国に行く私ですが、稲羽山の峰の松のように、帰りを待つと聞いたならば、すぐに戻ってきますよ)
(能のあらすじ)
諸国一見の僧が、須磨の浦を訪れ、謂れのありげな松を見つけ、浦人から行平の愛した松風・村雨という二人の海士の旧跡であると教えられます。僧は念仏して弔った後、海士の塩屋に泊まろうと思います。やがて、二人の海士が身の上を嘆きつつ月明かりに夜塩を汲み、汐汲車を曳いて塩屋に帰ってまいります。僧は、二人に一夜の宿を乞いますと、海士は見苦しいと一度は断りますが、たっての乞いに、請じ入れます。僧は、須磨の浦といえば、心ある人は進んで侘び住いするものですと、行平の故事を挙げ、旧跡の磯辺の一本松を弔ったことを伝えます。すると、二人は涙にくれ、自分達は行平中納言に寵愛を受けた、松風・村雨の幽霊であると明かし、行平中納言が三年間流されていた間の懐かしい思い出を語り、行平が去って幾程もなく亡くなったことを語ります。そして松風は、行平の形見の立烏帽子狩衣を懐かしみ、やがてその装束を身につけた松風は、狂おしく舞い、松に寄り添います。そして僧に、我が跡を弔うよう頼み、夜明けと共に消えます。後には松風の音が残るだけでした。
(おわりに)
源氏物語・須磨の帖には、光源氏が、在原行平の後に須磨に流される場面があります。“源氏の君のお住まいになるところは、在原行平の中納言が、その昔、「藻塩たれつつ侘ぶとこたへよ」と詠まれた住居に近いところでした、海辺からは少し奥へ入っていて、身にしみいるようにもの寂しい感じの、山の中なのでした。………………”(瀬戸内寂聴訳「源氏物語」より抜粋)

安田・梅野・野崎・河野・森瀬 校注「撰集抄(上)(下)」現代思潮新社刊を参考にしています
(文:久田要)