能楽師|久田勘鷗|HIDASA KANOH

三輪(みわ)解説

前シテ:里女     後シテ:三輪明神     ワキ:玄賓僧都     アイ:里人
作者:不詳     出典:江談抄第一 玄賓律師大僧都……、  俊頼口伝集上・三輪明神御歌

あらすじ

(江談抄の玄賓僧都説話では)
弘仁五年、玄賓(げんぴん)が始めて律師に任ぜられた時に辞退する歌にこう言った「三輪川の 清き流れに すすぎてし 衣の袖は さらにけがさじ」。また、都を去って他国に赴く時、道で行き会った女性が衣を脱いで奉ったので、これを受けたときの歌「三輪川の 渚ぞ清き 唐衣 くると思ふな 得つと思はじ」。
玄賓僧都は弓削氏出身で、興福寺の宣教の弟子。僧官などにつくことを嫌い、かつ同族の道鏡が称徳天皇にとりいったことをきらって、京(奈良)を逃れたといいます。大僧都を辞して、備中国湯川寺に隠遁します。また、玄賓が三輪に隠棲したという伝承は、やはり「江談抄」から発しているようです。鴨長明(方丈記の著者)の「発心集」にも江談抄の説話を受けて、少し肉付けされた玄賓三輪隠棲説話が登場します。そして時代が下るにつれて、いろいろな話が付け加えられていきます。
(前場)
大和国三輪山の檜原に庵する玄賓僧都のもとに、毎日樒(しきみ)と閼伽(あか)の水を持ってくる女がいます。今日も訪れた女は、秋も夜寒になったと、衣を一重所望します。僧都は衣を与え、女の住処を尋ねます。女は「我が庵は三輪の山もと恋しくは……」と詠い、……訪い来ませ杉立てる門」と、尋ねたまえと言い捨て、かき消す様に失せました。
三輪明神に日参している里人が、ご神木の杉の枝に衣が掛かっているのを見つけ、僧都に知らせます。
(後場)
僧都が神前に来てみると、杉の木に女人に与えた衣が掛かってい、衣の褄に金色の文字で歌が書かれています「三つ乃輪は 清く浄きぞ 唐衣 くると思ふな 取ると思はじ」。僧都が読んでいると、杉の木陰から声がして、女姿の三輪明神が現れ、神も衆生を救うため、暫し迷いの深い人間の心を持つことがあると、罪を助けてほしいといい、三輪の妻問いの神話を語ります。そして神楽を舞い、天の岩戸隠れを語り、思へば伊勢と三輪の神一体分身の御事今更何と磐座や………と夜も明け、名残おしくも僧都の夢は覚めました。
(おわりに)
三輪の妻問神話には、日本書紀にある百襲姫(ももそひめ)と三輪山の神・大物主神との箸墓伝承など、複数あるようです。本曲の話は、大和の夫婦の話で、男は夜にしかやってこず、昼に姿を見せなかった。女が昼にも会いたいと願うと、男は通うのは今夜限りと答えます。女は悲しく思い、男の帰る処を知ろうと、男の裳裾に糸を縫いつけます。後をつけて行くと、三輪の神杉の下枝に糸の三くくりが残っていました。それで男が三輪の神だと判ったという話しです。次に伊勢と三輪の関係ですが、古代史は複雑で創作も多く、よくは解りませんが、「伊勢国風土記」逸文に、出雲神イセツヒコの話として、「伊勢」の国名伝説があります。出雲神の大物主神・出雲神イセツヒコと伊勢の天照大神、案外近い関係かも知れません。)

江談抄研究会編「江談抄注解」武蔵野書院刊 及び新見公立大学教授原田信之著「大和三輪の玄賓僧都伝説」
(立命館大学人文学会刊 雑誌「立命館文学」巻630(2013.03)に掲載)を参考にしています
(文:久田要)