前シテ:樵翁 後シテ:山神 ツレ(前):樵夫 ワキ:勅使 ワキツレ:従者(2人) アイ:里人
作者:世阿弥 出典:「十訓集」第六の十八 養老の孝子
あらすじ
(十訓集では)
元正天皇の御時(奈良時代715年~724年)のことです。美濃の国に、山の草木をとって生活している貧しい男がいました。男は、老いた父親と共に生活していますが、この父親は、朝夕酒を愛して止みません。男はいつも、なりひさご(瓢箪)を腰につけ、酒屋で買って、父親に飲ませていました。ある時、山で薪をとっている時、苔の付いた石にすべり、転んでしまいます。すると、辺りから酒の香りがするので、周りを見ますと、石の中から酒が流れ出ています。男は喜んで、それから毎日これを汲んで、父親を養いました。このことが帝の耳に入り、霊亀三年(717年)9月に行幸され、御覧じになりました。このことは親子の至孝のゆえに、天神・地祇が哀れんで、恵んだものであろうと思し召して、男を美濃守にし、その酒の出る処を、養老の滝と名づけ、さらに、11月には年号を「養老」と改めました。
(前場)
雄略天皇の勅使一行が、美濃の国本巣の郡に不思議な泉が湧き出たという報告の検分にまいります。一行が養老の滝に着くと、老人と若者の二人の樵(きこり)がやってきます。勅使は、この二人が話しに聞く親子かと思い尋ねると、果たしてそうでした。勅使の質問に答え、この水を飲むと、疲れもなくなり、老いをも忘れる程の効用があるので養老の名がついたのだと、滝の謂れを物語ります。ついで老人は、勅旨を薬水の湧き出る泉に案内し、霊泉を褒め、また他の霊泉の例をあげて、この薬水の徳を称えます。勅使も感激し、早速このことを君に奏上しようと、帰ろうとします。すると、不思議なことに天から光がさし、音楽が聞こえ、花が降ってまいりました。
里人が現れ、養老の滝の謂れを語り、泉の水を飲んで、若返りの様子をみせます。
(後場)
山神が現れ、自分は山神の宮居であり、かつ楊柳観音菩薩であり、神も仏も同体であり、共に衆生を救う方便だと述べ、神舞を舞います。そして、泰平の世を祝福し、神の国へと帰っていきます。
(おわりに)
十訓抄の時代設定と、本曲の時代設定は、かなりの違いがあります。雄略天皇は、倭の五王の「武」と考えられており、西暦470年代の大王ですが、宋書に記載されていること以外には、その詳しいことは伝わっていません。元正天皇とは約250年離れています。世阿弥が何ゆえに、時代を遡らせたかは分りませんが、聖代の奇跡を寿ぐためには、歴史時代は適当ではないと考えたのかも知れません。そのことで、年号の「養老」とは、食い違ってしまいました。
永積安明校訂 岩波文庫「十訓集」岩波書店刊を参考にしています
(文:久田要)